佐野元春 & THE COYOTE GRAND ROCKESTRA「ヤァ!40年目の武道館」日本武道館
2021年3月13日
佐野元春の「ヤァ!40年目の武道館」というライブが開催されるのを知ったのは、2021年1月3日の朝のことだった。宣伝は、朝日新聞だけだったが、すでにネット上に様々な情報が出ていた。この「ヤァ!40年目の武道館」は佐野元春の誕生日である3月13日に開催されるとうたっていた。しかし、それから数日も立たないうちに新型コロナウイルスの感染者が増大し、緊急事態宣言が発令され、当初ライブの詳細を発表する予定だった1月8日には発表がキャンセルされた。
2月に入り、ようやく詳細発表がされた。緊急事態宣言は続いたままだったが、当初の予定通り3月13日に開催されるとあった。緊急事態宣言継続中では有ったが、チケットの予約をファンクラブ先行に申し込み、チケットは取れた。開催まで1ヶ月を切っている中、ホテルと飛行機のチケットをまとめて確保し、当日を待った。
3月13日の東京は雨の予報だった。福岡も雨だったが、家を出る際には雨は止んでいた。福岡空港に行き、昼食を食べて、飛行機の出発時間を待った。飛行機もダイヤを半減させての運行で、その分東京に移動する人が13時発の飛行機に集まっていた。飛行機は定時に出発したのだが、伊豆あたりで機長から「羽田空港の天候悪化のため、上空待機する」とアナウンスが出て、予定より30分以上遅れての羽田空港着になってしまった。そして、その天候悪化は鉄道にも及んでいた。京浜急行と都営浅草線、営団地下鉄東西線で九段下に行く予定だったが、こちらも12分遅れての運行になっていた。それで、日本武道館に着いたのは16時半と、開演30分前。土砂降りの中、記念のTシャツを引き換えに並んでTシャツを貰い、会場に入ったらもう開演10分前というギリギリのタイミングだった。会場に入ると間も無く「間も無く開演です」というアナウンスがあり、17時5分過ぎにライブは始まった。一曲目は予想の斜め上をいく選曲だった。
本編
- ジュジュ
- ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
- 新しい航海
- レイン・ガール
- ダウンタウン・ボーイ
- レインボー・イン・マイ・ソウル
- ハートビート
- ワイルド・ハーツ
- 愛が分母
- 合言葉 – SAVE IT FOR A SUNNY DAY
- ヤァ!ソウルボーイ
- ロックンロール・ナイト
- ヤング・フォーエバー
- 朽ちたスズラン
- 禅ビート
- ポーラスタア
- バイ・ザ・シー
- 東京スカイライン
- La Vita é Bella
- エンタテイメント!
- 純恋(すみれ)
- 誰かの神
- 空港待合室
- 優しい闇
- ニュー・エイジ
- 悲しきレイディオ
- サムデイ
- アンジェリーナ
なんと一曲目は「ジュジュ」だった。しかもアレンジが横浜スタジアム’89・夏のバージョンというレアさ。この一曲目でライブの興奮にスイッチが入った。二曲目もアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」からアルバムタイトルナンバーが演奏がされた。オリジナルのアレンジにかなり近い。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が終わると、MCが入った。「僕の誕生日に集まってくれてありがとう。」という話をして、三曲目も「新しい航海」と「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」から選曲が続く。これもオリジナルに比較的近いアレンジだった。
続けて演奏されたのは「レイン・ガール」。これも意外な選曲だった。そして、初期の曲に戻り、「ダウンタウン・ボーイ」が演奏される。これはシングルバージョンに近いアレンジであった。
MCで、「今夜のコンサート、いつもと違いますが、心の中で歌ってくれると嬉しいです。次の曲は僕の心に虹がかかる曲です。」と話し、「レインボー・イン・マイ・ソウル」が演奏された。その後、キーボードの音色から始まり、最近では演奏することのなくなった「ハート・ビート」がオリジナルにかなり忠実に演奏していた。アウトロでは、佐野元春がハーモニカで盛り上げる展開だった。
一転して、次の曲はイントロ付きで「ワイルド・ハーツ」を歌った。これもオリジナルに近いアレンジだった。その後、MCが入り、「今日演奏してくれているのは、THE COYOTE GRAND ROCKESTRA。1980年代は THE HEARTLAND、1990年代はTHE HOBO KING BAND、2000年代はTHE COYOTE BANDと、バンド共に活動してきました。今日、ここにいないバンドのメンバーにも感謝したいと思います。次の曲は、ちょっと変わったタイトルです。」と言って、「愛が分母」を演奏した。今回のバンドはブラスセクションもあるので、この曲の本領が発揮されていたと思う。
MCで「去年から続くパンデミック、ミュージシャンも活動が制限されました。ライブができないので、レコーディングしていました。去年は三曲作りました。次の曲はパンデミックが明けた新しい日のためにこの曲を歌いたいと思います。」と言って、「合言葉 – SAVE IT FOR A SUNNY DAY」を歌った。個人的にこの曲は去年のリリースから、僕の勇気を奮い立たせる曲なので、心の中で歌っていた。
次の曲は、多分今回のライブのタイトルの元ネタになっているだろう曲である「ヤァ!ソウルボーイ」がご機嫌に演奏された。アウトロでは二人のギターが唸っていた。そして、「ハート・ビート」に続き、初期の代表曲「ロックンロール・ナイト」まで演奏された。これもオリジナルに比較的忠実なアレンジであり、アウトロもきちんと演奏された。
その後はまたロックンロール節炸裂で「ヤング・フォエバー」が演奏された。この曲はDr.kyOnがギターで参加していて、トリプルギター状態になっていた。
その次に演奏された曲で驚いた。THE COYOTE BANDとの「朽ちたスズラン」が歌われたのである。この曲の演奏回数も多くはない。なので珍しい選曲と言える。ここからしばらくはTHE COYOTE BANDとのコラボ曲である。続けて「禅ビート」、「ポーラスタア」と演奏された。
MCで、「国は当てにできないというのを目の当たりに見た、って感じ」という話をして、「バイ・ザ・シー」が演奏される。当然ライブ版のイントロ追加版である。アウトロでは、ギター深沼元昭、キーボード渡辺シュンスケとDr.kyOn、サックス山本拓夫のソロパートが入り、曲を盛り上げる。そして、しっとりと「東京スカイライン」が歌われ、続いて「La Vita é Bella」となだれ込んだ。
MCで「詩人の吉増剛造さんとお会いして、いろいろ話をしました。テレビで放映されるので、チェックしてください。神奈川の海で撮影したのですが、僕の愛犬ゾーイ君も出ています。ところ構わず撮影スタッフに愛嬌振りまいています。彼はエンタメイナーだと思います。」と言って、「エンタテイメント」を歌った。これで新曲は「この道」以外は歌われていたことになる。続けて「純恋(すみれ)」、「誰かの神」、「空港待合室」、「優しい闇」が歌われた。「空港待合室」の歌詞の「8番ゲート」という歌詞は、たまたま飛行機に搭乗する際に福岡空港の搭乗ゲートが8番だったので、親近感を得た。
ここから80年代に戻り、「ニュー・エイジ」がオリジナルに近いアレンジで歌われた。MCが入り、「1980年代から僕の音楽を聞いてくれている人がたくさんいます。僕が40周年ということは、皆さんもプラス40年。」と笑わせ、「悲しきレイディオ」を演奏した。この曲は本来「♪ムード盛り上がれば」のところで観客に歌わせるのだが、今回のライブは声援、歌を歌うなど発声する行為が禁止されているので、佐野元春がそのパートを歌った。そして、「サムデイ」を演奏する。いよいよクライマックスである。本編ラストの曲は「アンジェリーナ」だった。
「アンジェリーナ」の後、MCが入る。THE COYOTE GRAND ROCKESTRAのメンバー紹介である。ギターが深沼元昭と、藤田顕、キーボードが渡辺シュンスケ、ベースの高桑圭、パーカッションはスパム、ドラムが小松シゲル、古い仲間として、キーボードにDr.kyOn、ブラスセクションに山本拓夫と、西村浩二というメンツだった。「スパムがただのスパムではない。大井スパムだ」というメンバー紹介には笑った。そして、メンバーは一旦ステージを去った。
アンコール
- 約束の橋
アンコールまではあまり待たされなかった。佐野元春が「詩を知っている人がいたら、一緒に歌ってください。心の中で。」と言って、アンコールの「約束の橋」を歌った。ステージには、「Happy Birthday,MOTO WE LOVE YOU」という文字が表示されていた。「今日のコンサートを迎えるまで長い道のりがあったけれど、皆さんの協力のおかげで無事開催できました。どうもありがとう。僕の人生に必要なのはライブ、そして音楽ですね。このパンデミックが明けて、新しい世界で僕の魂をぶちまけていきたいです。よろしくお願いします。」と話した後、メンバーはステージを去り、ライブは終わった。約3時間のライブだった。今回、残念なことに何曲かでハウリングを起こしていた。ビデオ撮影グループも入ってはいたが、ライブビデオには使えない曲が数曲ある。最もビデオ撮影グループは、ステージ両サイドにあったスクリーンで、ステージが見づらい人向けにも撮影映像を流していたので、必ずしもビデオ撮影だけではないのだが、大阪城ホールでカバーするのだろうか。それはともかく、デビュー40周年の記念すべき1年、新型コロナウイルスの影響でライブを制限されていた佐野元春が、最後だけでも花道を飾りたいという思いで開催したこの「ヤァ!40年目の武道館」は、結果として成功したライブだったと思う。人数制限はあったものの、おそらく5000人の入場者を記録し、盛り上がったライブで、僕も遠征した甲斐があったというものである。
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