沖縄南部戦跡を徒歩で巡る|沖縄旅行2023年11月1日目

沖縄南部戦跡を徒歩で巡る|沖縄旅行2023年11月1日目

2023年11月22日

スカイマークで福岡から那覇に

朝、5時に目覚めてしまったので、起きて洗顔をしてから朝食を食べ、早めに福岡空港に移動した。7時前には福岡空港に着いて、スカイマークのチケットを発券し、手荷物検査場をさっさとすり抜け、クレジットカード専用ラウンジでまず一服した。

7時40分に搭乗口に行ったら、すでに先行搭乗を開始していて、僕もその対象だった。それで早々と機内の人になった。搭乗客が早めに搭乗したせいか、出発時刻である8時前に出発。普段滑走路で混む福岡空港にしては珍しく予定より早く離陸した。

飛行ルートも順調で、なんと予定到着時刻より10分も早く那覇空港に到着してしまった。

那覇空港からひめゆりの塔までゆいレールと路線バスで移動

初日は南部の戦跡巡りをしようと思っていたので、那覇空港に着いてからiPhoneのマップでまずひめゆりの塔へのルート案内を表示させた。那覇空港からはゆいレールで赤嶺駅まで行って、赤嶺駅前から沖縄バスの89番糸満線で糸満市場入口まで乗車し、糸満市場入口から琉球バス82番玉泉洞糸満線を乗り換えれば、ひめゆりの塔に行けると分かった。

ゆいレールで赤嶺駅までは簡単に行けたのだが、赤嶺駅前でバス停の方角を間違えてしまったため、バスを1本逃してしまった。結局赤嶺駅前のバス停で30分待たされた。ただ、次の予定時刻3分前にバスは来て、「あれっ」と思いながらバスに乗って糸満市場入口まで行った。

糸満市場前入口まで25分ぐらい。そこで琉球バスに乗り換えたのだが、5分程の待ち時間で82番玉泉洞糸満線のバスが来た。それに乗車して12分でひめゆりの塔前に着いた。11時15分前後だった。

ひめゆりの塔を31年ぶりに見学する

ひめゆりの塔を見学に来たのは今回が初めてではない。僕が大学を卒業する1992年の春に一度見学に来ている。それ以降見学に来たことはないので、31年ぶりの再訪になった。

ネットではコロナ禍の影響で観光客の減少に苦しんでいる、という話が流れていた。しかし、僕が見学に来た時には修学旅行生が大挙して訪れていて、混んでいた。

最初にひめゆりの塔で祈りを捧げた。それからひめゆり平和祈念資料館に入館し、じっくり資料を見学した。内容は重い。開放的な沖縄ではなく、厳しい歴史を背負った沖縄がここにあった。

近年、中国が台湾に対して軍事侵攻をするという憶測が流れ、その防衛のために沖縄に軍備増強をする事態になっている。その事実に対して僕は否定的見解を持っているのだが、改めてひめゆり平和祈念資料館を見学すると、戦争の愚かさや悲劇性が明確にわかる。今の政治はおかしい、ということが改めて理解できた。

1992年の時に見学したひめゆり平和祈念資料館と今回の違いはというと、ひめゆり学徒隊の生存者の方々の生の声が聞けるか聞けないか、ということだろうか。生存者の方々も高齢化が進んだのと、コロナ禍で直接話をする機会が奪われ、代わりにビデオ収録で生存者の方々の話を見聞きする形になっていたのが、大きく違っている点である。ビデオでも十分衝撃な話を伺うことはできたが、生の声の方が重みはあった。

ひめゆりの塔周辺での昼食場所の確保に苦労する

1時間見学をして、ひめゆり平和祈念資料館を後にした。13時になっていて、昼食をどうしようと考えた。ひめゆりの塔を最初に見学したのは、周囲にレストランが色々あるからだが、多くのレストランは修学旅行生の団体対応で個人観光客受付を断っており、食事ができるレストランがなかった。

ようやく琉球の館という土産物屋兼レストランの店に入ったら個人の客も受け付けてくれていて、昼食にありつけた。リフレッシュをしたくてノンアルコールビールのオリオンクリアフリーを飲み、沖縄そばでお腹を満たした。

いとちゃんmimiの予約入らず、徒歩で喜屋武岬や具志川城跡まで移動する

ひめゆりの塔を見学して、午後は別の戦跡の見学をしようと思っていた。その移動手段として、糸満市が運営しているタクシー未満路線バス以上のコミュニティバス、いとちゃんminiを使おうとした。ひめゆりの塔から喜屋武岬までいとちゃんminiで移動しようと予約の電話を入れたら、満席で予約を受け付けられないという。

では、県営平和祈念公園まで予約できるかと聞いたが、やはり満席で予約は受け付けられないと言われた。ひめゆりの塔から県営平和祈念公園までの琉球バス82番玉泉洞糸満線は1時間以上待たなければならなかったので、県営平和祈念公園への見学は断念して、ひめゆりの塔から喜屋武岬まで徒歩で移動することにした。

距離にして5-6kmあるのでおおよそ1時間の徒歩移動である。僕の場合、人の平均徒歩時間より早足なので1時間は掛からなかったが、まだまだ暑い沖縄で1時間近くあるのは大変だった。登りも下りもない平坦な道だったのが救いである。

途中で自動販売機でお茶を買って水分補給しながら、喜屋武岬の平和の塔を見学しに行った。ここは景勝地ではあるが、沖縄戦で多くの一般市民の方々が米軍の攻撃で追い詰められて自害したり殺されたりした悲劇の地なので、一度は想いを馳せたいと思っていた。

ひめゆりの塔とは違い、喜屋武岬には派手な宣伝的遺蹟はなかった。ただ平和の塔と展望台があるだけ。それでも鎮魂の雰囲気は感じられた。

ここで見学をして、20分ほど休憩した。少し体力が回復して、せっかくだから近くの具志川城跡も見学するかと、再び歩き出した。喜屋武岬から1.3kmなのでそんなに疲れなかった。

具志川城跡は、沖縄の他の城跡と同じく城壁があるだけだった。それもかなり小さい。それでも沖縄の歴史に触れるいい機会になり、強い印象を残した。

那覇への最寄りバス停までやはり徒歩で琉球ホテル&リゾートまで

具志川城跡を見学してから、「さて、どうやって那覇に戻ろう?」と悩んだ。近くに路線バスの停留所はなかった。iPhoneのマップでナビゲートをかけると、なんと琉球ホテル&リゾートというホテルまで移動して、そこから東京バスという会社のウミカジライナーに乗れば那覇まで戻れる、と表示されたのである。具志川城跡から琉球ホテル&リゾートまでは1.7kmもあるが、他に移動できる方法もなさそうなので、また歩き出した。

20分歩いて琉球ホテル&リゾートに到着。疲れたので自動販売機のミネラルウォーターを買ってグビグビ飲んだ。10分待つとウミカジライナーが到着。ウミカジライナーに乗ってようやく那覇に戻ることになった。

ウミカジライナーは一種のリゾートバスなので、停車するバス停も他のリゾートホテルを経由する。そのため、意外と時間がかかる。疲れていたので、ぼーっとしながらバスに乗り続け、赤嶺駅前のバス停で下車。ゆいレールで県庁前駅まで移動した。

県庁前駅からは徒歩で宿泊ホテルである松山のホテル ロコイン沖縄に移動した。12分後にようやくホテルにチェックインでき、ホッとした。17時45分だった。

喜屋武岬や具志川城跡、琉球ホテル&リゾートに行くのにiPhoneのマップでナビゲートしてもらったのと、それぞれを見学する際にカメラで写真や動画をたくさん撮影したので、iPhoneのバッテリーが残り4%しかなく、ピンチ状態だった。琉球ホテル&リゾートに行く際にはiPhoneは低電力モードにしてバッテリーの消費を抑えていたぐらいである。

ホテルにチェックインしたのちに、iPhoneの充電を行ってから、夕食を取りに出かけた。

みかどでフーチキナーを食べる

ホテル ロコイン沖縄のある松山近くで手軽な沖縄大衆食堂はないかなとiPhoneの充電中にiPad Proで調べたら、三笠 松山店があったので行ってみたが、すでに営業終了していた。仕方ないので、近くのみかどに行ってみた。

みかどは何人かが入店待ちで並んでいたが、他の店を探すのも疲れたので列に並んで待っていた。5分ほど待ったら入店できたので、メニューを見て、オリオンビールとフーチキナーを頼んだ。

徒歩で2万歩も歩いたので疲れた体にオリオンビールは美味しかった。そして、大衆食堂らしいフーチキナーも美味しかった。フーチキナーとは沖縄の麩と高菜、ポークなどを炒めたチャンプルー料理である。ここの目玉はちゃんぽんとのことだったが、ちゃんぽんには食指が動かずフーチキナーを選んだ。頼んだフーチキナーは満足行くものだった。

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